「明日の○時に病院に来てほしい。」と言われても、「はい、分かりました。」と二つ返事できるほど暇ではない。

 

ただ、そういう連絡があった際、たまたま空いていることが多いのは母の運の強さである。

 

ということで、またイレギュラーな治療が必要になり、その説明を受けてきた。

 

しんどそうな母を見るのはこちらもしんどい。

こういったことがあると、母としては僕の仕事の邪魔をしていると感じるようで、余計にしんどいだろう。

 

かくいう僕も、本音を言えば「もぉぉ!」だ。

空いていると言っても、その時間にやろうとしていたことはある。

 

心配と憤りの狭間で葛藤する。

 

いずれにしろ、今回に限らず、母が障がい者になってから特に思うのは健康寿命の大切さである。

 

申し訳なく感じながら生きたくないし、生きてほしくない。

 

そのためには兎にも角にも健康であること。

 

普段の生活、日常が重要で、母はそれが原因だったと、実家の掃除をしながら感じた。

 

医食同源を心掛け、ストレスをできるだけ溜めないようにする。

 

言うのは簡単だが、なかなかできるものではない。

 

個人差はあると思うが、僕の場合は特に後者。

食にはだいぶ気を使うようになっている。

 

あと、パートナー大事!

 

母が未亡人になってから25年以上。

その間、浮いた話はない。

 

もし今、父が健康な状態で生きていたら、僕らの負担は軽くなっていたに違いない。

 

そうでなくても、「いい人を見つけていたら…」と思うことがある。

その気になればいくらでもいただろうに。

 

真面目も良し悪し。

もしパートナーがいたら、脳梗塞になっていなかったのでは?とも思う。

 

以上、全部 “ たられば ” である。

 

でも、家族のためにも、みなさん、健康でいましょう。

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