YouTube(music)をランダムに流しながら仕事をしていたら、ミスチルの「Tomorrow never knows」が。
いやー、いい!
やっぱりいいわー!!(カラオケ行きたい)
特に今回のタイトルにしている歌詞が刺さった。
グサっと、というよりも、スッと。
でも、タイミングによって刺さる部分や刺さり方って異なるよね。
さて、ダルビッシュさんの箸の持ち方が、特にTwitter上で話題になっている。(元はと言えば、小学生YouTuberのゆたぽん)
立川志らくさんもこれに反応し、朝の情報番組にて「私も持ち方が下手」と言っていた。
落語という日本の伝統芸能のトップランナーですら。
そんなお二方に、勇気づけられた。
なぜなら、僕もおかしな持ち方をしているからである。(今回のアイキャッチ)
親に注意された記憶もない。
でもTPOに応じて、正しい(風)にしている。
人の目を気にして。
これからは、それやめようかな。
実は以前にも、「これでいいんだ」と思ったことがある。
或る小説の一節で、それを読み、親に感謝すら覚えたので紹介したい。
ボクは四十歳になろうかという今でも、箸の持ち方がおかしい。
どう間違っているのかといえば、文字で説明できないくらい、おかしい。
おまけに、鉛筆の持ち方もかなりおかしい。
どう間違ったらそんな持ち方になるんだというくらいにおかしいのである。
しかも、それぞれがおかしいことを、ボクはかなり後まで知らなかった。オカンがちゃんと教えなかったからである。
「なんで子供の頃、いちいち教えんかったんね?」。ボクが聞くとオカンは言った。
「食べやすい食べ方で、よか」
とても、ざっくりしているのである。
ところが、こういう局面では細かく、厳しい。
小学生の頃、誰かの家でオカンと夕飯を御馳走になったことがあった。
家に帰ってから早速、注意を受けた。
「あんなん早く、漬物に手を付けたらいかん」
「なんで?」
「漬物は食べ終わる前くらいにもらいんしゃい。早いうちから漬物に手を出しよったら、他に食べるおかずがありませんて言いよるみたいやろが。失礼なんよ、それは」
(中略)
ある程度大きくなって、人の家に呼ばれる時は、オカンに恥をかかせないようにと、ちゃんとした箸の持ち方を真似てみたりするのだが、オカンはあまりそういう世間体は気にしないようだった。
自分が恥をかくのはいいが、他人に恥をかかせてはいけないという躾だった。
『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』リリー・フランキー著(扶桑社)より抜粋
今までで一番泣いた小説だ。
通勤電車の中で嗚咽した。笑
それはそうと、例え話として、文句の付けようがない正しい箸の持ち方だけど、食べ物をボロボロ落とす等、食べ方が汚いのと、変な持ち方だけど魚などをキレイに食べるのは、どっちがいいんだろうね。
当然、正しい箸の持ち方で食べ方もキレイなことに越したことはないのだけど。