ちょい古の海外ドラマ「HEROES」を再鑑賞している。
流行っていた頃、何らかの理由で最後まで観れず、それがずっと心残りだったので。
特殊能力を持つ人々の物語で、一見すると現実離れしているが、見方によっては深みを持つ。
その中で、自分は特別だと思っていたけどそうではなく、特別になっていくために殺人鬼になっていく“サイラー”という役があり、「こういう人、結構いるなー」と思う。
同時に、「僕もそうだったなー」とも。
自分が人生の主人公であることは間違いないが、誰かの、ましてや、世の中の主人公ではない。
そこを混同している人がいる。
願望を現実に投影しているというか。
そういう人は主語が自分であることが多く、誰かや何かを立てているような時も、なんだかんだ自分を立てている。
僕の経験則からすると、そういう人が組織のトップや何らかのリーダーだと行き詰まる。
人が離れていくなどし、頭打ちが早い。
いずれ、特別かどうかは自分が判断するものじゃないと思っている。
気付くものではあるかもしれないけど。
往々にして、気付くパターンの人は気付いた後も謙虚で、それにより主語が変わることはない。
30歳前後の時、大変お世話になると共に大変ご迷惑をお掛けした方に、「あなたはいつも主語が自分だよね」と言われたことがある。
当時、その方が僕に見ていたものを、僕は今、誰かに見ている。
四十路に入りたての人間が「年の功」という言葉を使うのはおこがましいが、こういうことって歳を重ねる毎に見えてくる。
余談として、結果的にいろいろ失った僕に、「あなたの曲だよ」と、その方が紹介してくれたのがこちら。
Coldplayで「Viva La Vida」
聞くことで、襟を正す。