「○○理論」と「〇〇流」は違う。

 

前者は知識、後者は経験から形成される。と思っている。

 

ゆえに、理論は人に説明できるが「流」はしにくい。体系的じゃないし。

 

ただ、それが何かしらの形で出来た時は理論を凌駕する。と思っている。

 

例えば、落合博満さん。

初めて監督をされた中日での8シーズン全てAクラスで、4度のリーグ優勝と1度の日本一に輝いている。

 

このような素晴らしい成績を残しているのにも関わらず、それから監督になっていない。

 

ご本人の意向というよりも、面倒くさそうだから声が掛からないのが実情だろう。代名詞である「俺流」が。

 

そのように、「流」は組織から敬遠されがち。

 

同じ面倒くさそうな野村克也さんが何度も監督をされているのは理論派だからで、実は組織に向いていると思う。小言は言うけど従順みたいな。

 

イチローさん、松中信彦さん、江川卓さん、あと、SHINJOさんとかはきっと「流」な方々で、かなり面倒くさいと思う。

 

でも、その「流」に理解のあるコーチングスタッフを揃えると、落合さんがつくったような一筋縄ではいかない面白いチームが出来るはず。

 

そのコーチングスタッフは「通訳者」とも言える。

 

野球の話ばかりだが少し自分の話もすると、僕は「流」寄りの自覚があるので、上司も部下もいない個人事業主というスタイルにしている。(法人成りをすることがあっても雇用する気はない。)

 

でも、まぁまぁ監督的なポジションのオファーをいただく。

 

その際は通訳者もチームに入れてもらうよう、クライアントにお願いをする。

またはオファー先が通訳者の場合もある。(これが楽)

 

逆に、僕が通訳者になることがある。

 

その際の監督は当然のように「流」を持つ人が多く、毒を持って毒を制するつもりで、いつもお引き受けしています。

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