A社がスポンサーの番組やイベントがあったとして、そこで競合するB社が好きだと言ったら注意される。
B社が好きというのは本心とした場合、その注意を聞き入れてA社をヨイショすることは自分に嘘をつくことである。
そういったことができる器用な人が世の中にはたくさんいて、地球はそんな感じで回っている。
でも、少しずつ変わってきている。
スポンサーありきではなく、素直な自分を表現した結果、スポンサーが付くようになっている。
YouTubeが良い例だ。
と、ここまではいいが、そうして有名なるにつれ自由が奪われていく。(振り出しに戻る)
こんな塩梅で、お金を払って何かを買うように、何かを手に入れることは何かを犠牲にすることである。
至極当然のことなので、対価が発生しないことは論外として、対価が見合わないことはある。
このミスマッチは奥が深くて、体力と精神力を例にすると、100の体力を要求されていても、それまでに精神力を結構使っていると、相手の100と自分の100にギャップが生まれる。
逆に、精神力を削られない、つまりストレスフリー、もしくはストレスレスな案件は、要求以上のパフォーマンスをしたいと思うし、できる。
要は、見えない部分を見てくれる(見る)、あるいは察してくれる(察する)関係性を構築できるとミスマッチが生まれにくいし、バディにもなれる。
以上は特に仕事する相手とは共有したい感覚で、暗黙の了解が望ましいが、説明しないと分かってもらえない場合がある。
とはいえ、説明している時点で分かってもらえる可能性は残念ながら限りなく低い。