NPOで働かせてもらっていた時、上司が「私たちの活動は砂漠に水やりをするようなもの」と言っていたのが印象的だった。言い得て妙というか、当時の活動(仕事)に対する僕のモヤモヤがそのまま表現されている言葉のような気がしたからである。
正直言うとそのモヤモヤは未だ色濃く残っていて、自分のやることに限らず、誰かがやっていることに対してもそれを感じる度に「砂漠に水やりをするようなものだからな」と自分に言い聞かせている。
言い聞かせているくらいなので、NPO的な(ソーシャルな)活動に主体的にはもう関わっていない。一生懸命に取り組んでいる方々に失礼だと思うので。
否定ではないことは強調しておく。僕が理解し切れていないだけである。
ただ、そういった活動に対して付く補助金については、極端に言えば「社会的に良いことをするからお金をください」といった具合に見えてしまうものがあり違和感がつきまとう。企画書と報告書が上手であればなんとかなる感じも。
これは主体的に関わっていたからこそ見えた社会構造の一つだと思っていて、見ることができたのは人生において大きな収穫である。
こういった僕が見える諸々は主観だけれども、あながちそうとも限らないと思っている。
いずれ、社会的に「良い」と判断するのは一部の人たちではなく世の中で、その上で経済が回り、必要なところに必要なお金が行き渡るのが健全だと思っているので、ビジネスの方がしっくりくる。ソーシャル文脈であれば、寄付募集を含めたクラウドファンディングの活用が適当だと思っている。
このように思うのは、一部の人たちが判断しているもので、明らかに、また持続的に何かが良くなっているのを見たことがないからである。
でも、ひそかに好影響を及ぼしているかもしれない。
だから「砂漠に水やりをするようなもの」という表現がしっくりくるのだ。
結果、いつかオアシスができるかもしれない。
その「いつか」をぼんやりさせたくないんだろうな、僕は。
では、ここで1曲お聴きください。
内山田洋とクールファイブで『東京砂漠』
追伸:東京出張を堂々と復活させます。