思っていたのと違う(思ってたんとちゃう)ことってそれなりにある。
僕はある仕事を始めた時にそれを感じ、同い年の仕事仲間に愚痴った際、「今の場所でやりたいことが出来なかったらどこに行っても出来ないんじゃない?」とサラッと言われ、「グサッ!」という音が聞こえるくらいに刺さり、以来、そういったマインドが指針になっている。これまでの自分はそうやっていろんなことから逃げていたんだとも悟った。
という前置きをしつつ、「この地域のこういうところが嫌い」みたいなことを言うと、「だったら出て行け」といった極論を言う人がいる。
内心では「だからダメなんだよ」と思いながらもグッと堪えて、「居心地が良いように変えよう」と思う。他でもない “ 自分が ” 居心地良くなるように。
「若者が・・・」とか「高齢者が・・・」とか、その他諸々のごもっともなことではなく、まず自分が居心地良く感じるようにしていく。
なんだかんだ自分のこと好きだし、自分のことしか考えていないとまでは言わないけど、自分の優先順位は常に3本の指に入っているし。
世の中、こういう人ばかりでしょ。言うか言わないかだけで。
本心から自分のことを差し置いて考えられる聖人君主って本当に一握りだと思う。
それっぽい人はたくさんいて、そういう人はどこか無理をしている。
その無理は無理でしかなく、そういう人同士は最初、社交辞令含みの共鳴をするかもしれないけど、あくまで無理なので、重なり合えば合うほど不協和音が生まれていく。
逆に、自分のことをまず考えている人は素直で、その素直は重なり合えば合うほどシンフォニーになっていく。
そして結果的に誰かのためになる。
自分のことを大切にできない人が誰かを大切にできるとも思えない。まずは得る存在にならないと与える存在にはなれないし。
ではここで1曲お聴きください。
欅坂46で『不協和音』
みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう。