ダサいことが嫌いだ。
客観的にダサいことはもちろん、主観的なダサさも。
例えば、みなさんにも経験があると思うけど、服装や髪型が決まらない時がある。
そんな時はいつも鏡の中の自分に向けて「だっさ!」と言い捨て、嫌悪感に満ちる。
そのくらい、他人よりも自分のダサさに厳しいと思っている。会話の中で「うわ、今の発言、ダサかったな…」と思ったら、以降のテンションは低いし、あの時どう言えばよかったかをずっと考えたり。
ダサいの対義語はカッコイイとは思っていないので、カッコつけていたいわけではない。
言うなれば、粋でいたい。ナチュラルに粋でいたい。
「これ、粋だな」と意識をして粋なことするのではなく、常に思考と行動が粋でありたい。
こう言ってる時点で僕は粋ではない。だから憧れる。
憧れるからマネをする。それはもはやカッコつけである。
だから僕は結局カッコつけである。ナルシストでもあると思う。
と、自覚していても、それをやめるつもりはない。いつか粋な存在になれるように。
今は「粋」という言葉に辿り着いたが、小さい頃からそういった類の思いがあり、歳を重ねるにつれ自然と、無意識に粋になれている。いや違うな、粋とは何かがわかってきている気がするので、これからも粋訓練を続けるのだ。
ある意味で人生の課題なんだと思う。
もちろん、自分が粋と思うことは誰かにとってはダサいだろうが、それは気にしない。ここは主観的にいかせてもらう。
ちなみに僕が思うダサいことは、ごまかしと言い訳と後出しジャンケン。こだわりじゃなくて執着。悪口というより陰口。あからさまな手抜き。意味のない妥協。極めるとは違う馬鹿の一つ覚え。思いやりがないこと。独り善がり…etc.
あと、横文字を多様するのもダサい。コミットとかジョインとか。
便利だから僕も使ってしまうことはあるけど、日本語の中に唐突に、また五月雨に挟む横文字って、それっぽく聞こえるだけで薄っぺらい。ダサいのもさることながら胡散臭い。
以上、とてもダサいと思ったことがあり、そこから浮かんできたことをザ〜っと書いてみた。