あけましておめでとうございます。

 

〝明〟けましてじゃなくて〝あ〟けまして。

特に意味はない。最近ひらがなにする方が多いので、僕もそうしてみている。

 

さて、ブログ初めをしたい気持ちと、書きたいと思うことがない葛藤があった元旦からの数日間。

いや、書きたいと思うことがないのではなく、書きたいと思うことは、もう少し僕の中で咀嚼が必要で、そのまま書くとスパイシーになる。

 

そういった咀嚼中の案件は枚挙に遑がない。

だからネタ自体はたくさんあるが、大人なので、咀嚼を繰り返した結果、辛さが中辛くらいになった頃合いに「そろそろ書こうかな」と思うのです。

 

でも今こうして書いているということは、書きたいことが他に見つかったのだ。

 

ということで、もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう。

 

「さて、どこにあると思います?」といったポエミーな問いかけではなく、これは昨年放送されていた、三谷幸喜さん脚本のドラマのタイトルである。

 

その最終回をさっき観て、衝動的に書いている。

 

結論、菅田将暉は、僕です。

 

あ、言わずもがな、自分と重ねたという意味だよ(^^;;

 

職業は違うけど重なる部分がある、とかはよくあるじゃない。そうじゃないのよ。やっていたことも顛末も、控えめに言って8割一緒なのよ。

大きな違いは、菅田さんは演出家だったけど、僕はプロデューサーだった点で、物語で起こる出来事にも当然違いはあれど、ニュアンスの違い程度に感じられた。

 

だからなんかいろいろわかりまくって、もうほんとエモくて、痛かった。

 

今となっては、月並みながら「いい経験」だったのだけど、劇中のセリフを拝借すると「集団というのは目的地が分からず、やみくもに走っているときが一番盛り上がるものだから」ということだったのかな、と思う。青春でしたね。20代後半だったけど。

 

物語として非常に面白いので詳しくは是非ご覧いただきたいのだが、最終回の菅田さんのように僕もなり、そこから這い上がった!は、言い過ぎ。そんなカッコイイものではなく、現在進行形で、ちょっとずつ大人になっている。

 

と、ここであえて、上記のポエミーな問いかけを考えてみるとしよう。

 

まず、この世で演じていない人はいない。みんなが素でいたら社会が成り立たない。

だからケースバイケースの役を、みなさん、大なり小なり演じているはず。それは家庭でも。

 

ここで疑問。

100%〝素〟でいることってある?

 

もしあるならそこが楽屋なんだろう。これは場所だけではなくシチュエーションにも言える。フッと気が抜ける瞬間みたいな。僕はそれならわかる。

 

あと、本当にやりたいことを始める前は、何をしていても楽屋なんだろう、とも思う。

 

以上、時々楽屋に入りつつも与えられた役を演じ切りますので、本年もどうぞご贔屓に、よろしくお願い申し上げますm(_ _)m

 

では、ここで1曲お聴きください。

YOASOBIで『劇上』

 

 

救いのない日々も憂いも

物語の一幕だとしたら

たとえ今が哀れでも無様でも

主役を演じ切る命であれ

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