ロマンチストとリアリストが混同している僕は、「かもしれない」の取り扱いに困っている。

 

みなさんもそうだと思うが、かもしれないがそうなった確率は低い。「行けたら行くは行かない」みたいな。

 

それでも、かもしれないを信じたくなるから厄介。

 

一方で、そういった自分を否定するのは、己の魅力や可能性を否定するような気がするのだ。

 

でもリアリストでもあるので、そういった自分を冷めた目で見ていたりもする二重人格。

 

どちらも自分なので、受け入れ、愛でたい。

 

ただ、リアリストはリアリストでも〝置きに行く〟タイプにはなりたくない。そう感じる人には「ダサい」とすら思うが、確率(リアル)を分析した上で勝負(ロマン)に出る人は尊敬するし、自分もそうでありたいと思う。

 

うん、そうでありたい!

 

!が付くくらい思うということは、なんだかんだ僕はロマンチスト寄りなんだろう。

 

正確には、自分のこと(プライベート)になるとロマン率が高くなり、仕事においてはリアリストで、求められない限りはロマン提案をしない。

 

と、この辺りで今回は終わるつもりだったが、書いていて気づいたことがあるので続ける。

 

お仕事のご依頼において、ロマンを求めてお声がけいただいた場合は長続きしない。

当方はロマン一辺倒ではなく、フェーズに応じて臨機応変および客観的に対応しているつもりだが、臨機応変および客観的であるが故に、疑問や要望、厳しいことなどを率直に言う。それが嫌になるのかどうか知らんけど、徐々に噛み合わなくなる。相談なく打ち切られることもある。

 

その逆は往々にして役割がハッキリしていて、良い意味で多くを求められないが、求められる時はそれが何かが明確。だから納得して喜んで応じるし、総じてスムーズだと思っている。

 

そちらの皆様、僕(弊社)の特性をご理解いただき誠にありがとうございますm(_ _)m

 

以上、改めて、かもしれないはあくまでかもしれないだからねっ!ということを、自戒を込めて。

 

では、ここで1曲お聴きください。

ユニコーンで『Maybe Blue』

 

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