〝被災地〟という言葉は、いわゆる被災三県、沿岸部の代名詞みたいになっているけれど、今や能登をはじめ、毎年どこかが被災地になっている。
たしかに規模で言えば東日本大震災が別格かもしれないが、もう特別扱いをすべきではないのかなというのが本音である。
いずれにせよ、誰かにとっての特別な日は、誰かにとっては普段であって、それでいいのだ。
何かを押し付けるべきではない。
とはいえ、上記の〝普段〟の方は「明日は我が身」と思うことが大事だと思うし、そう思うことにより寄り添え、備えることもできる。
他方、この時期になると、メディアが〝被災地〟に多く訪れる。そしていろいろな方にインタビューをする。
それはいいのだけれど、往々にして悲壮感を引き出そうとするらしい。前向きな話をしていても。
「そういうとこだぞ!」と思ってしまう。だからオールドメディアと言われるんだよ、と。
もう一つ、モヤっとしてしまうのは、この時期、寄り添う、悼むではなく、張り切る層(界隈)が一定数存在するということ。
その方々の中には「あの頃に戻りたい」と言う人がいる。
いや、無い方がよかった出来事ですよ。
かく言う僕も、東日本大震災は結果的に人生が良い方向に向かった出来事であることは認めるが、あの頃に戻りたいとは思わないし、それは当事者に失礼にもほどがある。
僕にとっての3月11日は、これまでを振り返り内省をする日であり、自分の周りや世の中を改めて観察する日でもある。
兎角、追悼と鎮魂、また祈念。
合掌。